検索
連載

まだマイコンがなかった、50年前の回路設計の記憶Wired, Weird(5/5 ページ)

筆者は約50年前の1974年に大学を卒業して、大手電機メーカーに就職した。初めての仕事は、当時ベンチャー企業だった警備会社に納入される防犯装置の開発だった。入社当時はまだマイコンは広く一般には販売されておらず、主にリレーやトランジスタを使用した回路が設計されていた。この装置開発で面白い不思議な現象を経験した。

Share
Tweet
LINE
Hatena
前のページへ |       

全てが手作り、ドレミの歌で拍手が沸いたあの日

 この基板でプログラム作成の練習ができた。スイッチのチャタリングキャンセルや、キーボードアレイから押されたスイッチの検知、7セグメントLEDのダイナミック点灯などが学べた。教材やサンプルソフトがない時代だったので全てが手作りだった。デバッグ用の治具も自分で作った。図4に示す。

<strong>図4:自作したデバッグ用の治具</strong>
図4:自作したデバッグ用の治具[クリックで拡大]

 図4下側のLEDはProgram Counterの位置を表示しステップ動作でプログラムをデバッグしていた。この治具基板を使ってストップウォッチやタイマーも作った。図5に示す。

<strong>図5:治具基板を使って作ったストップウォッチやタイマー</strong>
図5:治具基板を使って作ったストップウォッチやタイマー[クリックで拡大]

 最も思い出深い出来事は、プログラム作成の練習として電子オルガンでドレミの歌を作っていた時だ。ピコピコと音を鳴らしながら入力する筆者をとなりの部署の社員たちが、けげんな表情を浮かべてのぞき込んでいた。入力を終えて、いざ再生させると、ドレミの歌とともに、周囲から拍手が沸いていた。当時はマイコンのプログラム開発がとても重要なことだったので、上司も寛容だった。

 50年前当時に電子オルガンや家庭用タイマーをマイコンで作れば、かなり売れる製品だったかもしれない。マイコンを使い始めた頃は全てが手作りで、ソフトとハードが一体になった『まさにファームウェアの世界』だった。50年前は参考になる書籍もなく、参考となるソフトウェアもなく、英文の資料を読み、理解しながらコツコツと技術を積み上げた時代だった。

⇒次の記事を読む

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

前のページへ |       
ページトップに戻る