検索
連載

32年ぶりの新製品も 波乱万丈だったMotorola「MC6800」マイクロプロセッサ懐古録(7)(2/4 ページ)

今回はMotorolaのプロセッサ「MC6800」を紹介しよう。開発から市場投入に至るまで波乱万丈な経緯を持つMC6800は、派生品も多く、一時代を築いた息の長いプロセッサである。

Share
Tweet
LINE
Hatena

高価だった「MC6800」、廉価版の開発は経営陣が拒否

 MC6800のアーキテクチャは、よく語られるように、DECの「PDP-11」をモデルにしている。あくまでモデルにしているだけで、PDP-11と互換の命令セットとかいう話ではない。ただ直交的な命令体系を取っているとか、命令の名前が似ているなどの点で、確かに似ているとは思う。

 そもそもPDP-11は16bit CPUであり、一方MC6800は8bit CPUだから、似ているだけで命令セットは異なるのだが。それはともかくとして、1972年に基本設計を行った段階では、まだ当時の技術では複数のチップを一つにまとめることは不可能だった。またプロセッサそのものの価格も結構高かった。1974年に特定顧客向けに出荷された時の価格は360米ドルで、これはIntelの「8080」の最初の価格と一緒である。1975年4月にMEK6800D1という評価キットが発売されたが、この時にはキットの価格は300米ドル、MC6800そのものの単品価格は175米ドルまで下がっているが、それでもやはり高価であることには変わりなかった。

 一方で顧客の方はというと、初期の顧客はその高価なMC6800の価格をそのまま製品価格に転嫁して発売できたが、より広範に利用しようとするとMC6800の価格がネックになってくる。かくして前回説明したようにChuck Peddle氏らは顧客から「もっと低価格な製品を」という声を多数聞くことになり、これをまとめてMC6800の低価格版の仕様を上層部に提案するが、これは拒否された。そこで、Peddle氏らはMOS TechnologyでMOS6501/6502の開発を始めることになる。実は、低価格版の提案に対する上層部の度重なる拒否は、低価格版のコンセプトをMotorolaが放棄した事を示しており、なので(MOS 6501/6502で実現した)低価格版に対してMotorolaは知的所有権を主張できない、というのがPeddle氏の考えであり、実際その後起きた裁判でもこの主張が取り入れられている。ただ裁判の主張というのはいかようにもできる訳で、最終的にMOS Technologyは20万米ドルを支払う事になったのはまぁ致し方ないところではある(というか20万米ドルで済んでいるあたりが、主張が通った事の傍証ともいえる)

 それはともかく。前回もちょっと触れたが、Motorolaはこの当時半導体部門の拠点をアリゾナ州メサからテキサス州オースチンに移動する事を計画していたが、Bennett氏はテキサスへの移転を好まなかった。そこで電子腕時計部門(図1)でICの設計を担当していたGary Daniels氏を新しいマイクロプロセッサの設計主任として引き抜き、その後10年にわたりDaniels氏はオースチンでマイクロプロセッサ設計のマネジャーを務めることになる。このオースチンに移っての最初の仕事がMC6800シリーズのDepression Modeを利用した作り直しで、先に述べたMC68A00/68B00だけでなく、周辺チップも作り直されている。例えばMC6820はMC6821として作り直された。余談だがMC68A00/68B00は、トランジスタ数こそ4000個から5000個に増えたものの、ダイサイズは29.0mm2から16.5mm2に大幅に小型化、結果としてMC6800の販売価格を35米ドルまで下げることに成功している。

図1:1973年のMotorolaのAnnual Reportより。この翌年MotorolaはこのTimepiece Electronics Unitを閉鎖している
図1:1973年のMotorolaのAnnual Reportより。この翌年MotorolaはこのTimepiece Electronics Unitを閉鎖している

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る