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ロングランの本格DSP、TI「TMS320」登場に至る長い道のりマイクロプロセッサ懐古録(8)(3/3 ページ)

今回はDSPの話を取り上げたい。DSPといえば、Texas Instruments(TI)の「TMS320」は欠かせないが、TMS320登場に至るまでには長い道のりがあった。

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ようやく初代「DSP」が登場

 こうした試行錯誤を経て次に出て来たのがAT&Tの「DSP-1」とNECの「μPD7720」、それとAltamira「DX-1」である。DSP-1とμPD7720は1979年に発表された。DSP-1はBell Labが「DSP32C」という名称で開発していたコアを利用したもの(図8)で、32bit浮動小数点の乗算と40bitの加算を行える(データフォーマットそのものは20bitの固定小数点と16bit整数)DAUと3つのMemory Bank、実行制御を行うPipeline Control、それとPIO(Parallel I/O)ユニットから構成される。命令は16bit長で、その意味でも16bit DSPと称するのが適当なのかもしれない。DSP32CというのはBell Labの2世代目のDSPで、この前にDSP32というコアがあるが、差は

  • 演算性能がDSP32は12.5MFlops、DSP32Cは25MFlops
  • Memory空間がDSP32は16bit、DSP32Cは24bit
  • Serial I/Oの帯域がDSP32は12.5Mbps、DSP32Cは16Mbps
  • Parallel I/OがDSP32は8bit Width、DSP32Cは16bit Width
  • 動作周波数はDSP32が25MHz、DSP32Cは50MHz
  • DSP32CはIEEE 754準拠の浮動小数点のConversionをサポート。割り込みサポートを追加。またSerial I/OでLSBとMSBの両フォーマットに対応

といった感じで、基本構造は一緒ながら高性能化(プロセスも微細化され、0.75μm CMOSで製造された)したのがDSP32Cとなる。どうも最初のDSP32は商品化には至らず、DSP32Cで初めてDSP-1という形で商用化されたようだ。このDSP-1はAT&Tの5ESSという交換機に採用されることになった。

 この5ESS、1982年に生産が始まり2003年まで生産が続いていたというから、実に21年もの間生産されていたことになる。しかも交換機は販売が終了即引退という事にはならず、その後も長期間使われていたりする(例えば途上国に転売されるとか)から、交換部品としてのDSP-1も長期間製造されることになった。またDSP32Cの型番で外販もされる様になったが、こちらは外販の開始時期が遅く、既に競合製品が多く存在していたこともあってか、あまり広範に使われたという話はない。

図8:Pipeline Controlが結構細かくDAUの制御を行えるようになっているのが分かる。またCAUが汎用命令の処理を可能としている
図8:Pipeline Controlが結構細かくDAUの制御を行えるようになっているのが分かる。またCAUが汎用命令の処理を可能としている。Memoryの方、後にRAM2はROM0-3のオプションが無くなったのは、Flash Memory外付けの方向性になったからかもしれない[クリックで拡大]

 同じく電話交換機向けに1979年に発表されたのがNECのμPD7720である。μPD7720は2020年、IEEE Milestoneに認定されたことが発表されている図9がその概略だが、当時はまだDSPという用語が一般的では無かったのか、SPI(Signal Processing Interface)と称している。16bitの乗算とその結果に対する加算、いわゆる積和演算が可能である。簡単な制御命令もサポートされており、当初は3μm NMOSで製造され、8MHz駆動だった。このμPD7720、ISSCC 1980のタイトルの中にある"for voiceband applications"という文言からも分かるようにこちらも電話交換機に向けた製品であり、実際NECは当初デジタル交換機向けにこれを開発している。

図9:μPD7720はISSCC 1980で発表された
図9:μPD7720はISSCC 1980で発表された。その際の"A single-chip digital signal processor for voiceband applications"というペーパーからの抜粋。命令長23bit、というあたりが独特。ちょっとVLIW風のフォーマットである[クリックで拡大]

 ただ川上雄一氏(元NECエレクトロニクス・アメリカ社長)が半導体産業人協会の会報 No.79に寄せた「デジタル信号処理用プロセッサの開発」によれば、当初想定した交換機のプッシュボタンデコーダー向けとしてはほとんど採用が無く、逆に民生向けに猛烈に売れたそうだ。

 川上氏の言う「当時」というのは1980年代前半と思われるが、北米の有力モデムメーカーの多くがμPD7720を採用、これで1200/2400baudのモデムを構築した事で、一時期は世界シェアの90%を超えていた事もあるらしい。IEEEのMilestoneに選ばれた理由の一つは、こうしてDSPの新規マーケットを開拓した事も評価されたのだろう。

 ただ当然他社もこのμPD7720の躍進を目にしている訳で、しかも新規マーケットが広がってきたから、当然一斉に参入してくるため、いつまでもμPD7720が市場を占有するというわけにはいかなかった。NECはこの後、10〜15MHz駆動で内部メモリも4KB Data RAM/4KB Data ROM/16KWord Program ROM(1 Wordは24bit)に拡張したCMOS版の「μPD77C25」を1988年にリリースしていて、さらにこれをベースとした「μPD96050」が1990年頃に登場する。このμPD96050というのは汎用品ではなく、任天堂のスーパーファミコン向けの専用品的な扱いだったようで、しかも本体に搭載するのではなくカートリッジ側に実装されるというちょっと珍しいものだった。ファームウェアの違いでDSP-1からDSP-4までの4種類があったことが確認されている。

 この後もNECはμPD77016ファミリーとかμPD77110ファミリーとかの16bit DSP製品を提供しているが、それがビジネスの核となるというよりも、Vシリーズプロセッサ向けのアクセラレーター的な位置付けになっており、メインストリームからは外れていった。

 ちなみに初期の製品としてもう一つ、Altamira DX-1という製品があった「らしい」のだが、これに関しては今回ちょっと調べたものの製品以前に会社そのものが不明である。なんでも4つのInteger PipelineとDelay Slot、Branch Predictionを搭載していたらしいのだが、この情報もどこまで正確なのか不明というありさまである。

 こうして第1世代のDSPが出そろい、その中でNECのμPD7720がマーケットを急速に伸ばした、という状況の中で第2世代のDSPが各社から登場してくる。次回はその第2世代DSPの話をしたい。

⇒「マイクロプロセッサ懐古録」連載バックナンバー一覧

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