1979年には、実際にSPCチップの設計も始まった。この時期は?というとAlphaの基本設計が終わり、そこに従事していたエンジニアが空いた時期でもある。また当時英国のPlessey Semiconductors(ここ最近はMicroLEDで有名な会社だが、2025年9月1日にHaylo Labsに買収された)に在籍していたSurendar S. Magar博士(DSPの研究で博士号を取得している)が加わる事になった(が、博士の奥様の妊娠合併症の関係で、参加は1980年3月まで伸びた)。Magar博士はその後SPCの完成までチームに残り、1982年のISSCCにおける発表までこなすに至っている。
この後チームは、順調にSPCの開発を進めてゆく。途中、1981年2月には事業環境悪化に伴う人員削減の波が押し寄せたものの、SPCの開発そのものは進行し続けた。チームの目標は1982年のISSCCにこのSPCを発表する事であり、これに向けて全力で開発がすすめられた。ちなみにこのSPC、当初はTMSシリーズのNaming Ruleに沿ってTMS 10010シリーズになる予定だった。最初の2桁が製品シリーズ、次の2桁が製品内の世代を示す01で、その後に0を追加したというものだった。ところが10010はCB無線の俗語で"トイレに行く"(100-10)(*1)になって好ましくないという判断だったそうで、頭文字を32bit ALUにちなんで32、次いで最初のデバイスである01を追加し、最後に性能を示す0(当時5MHz駆動の製品は「超高速」だったため、型番は4桁ではなく5桁が好ましいと判断された)を付けてTMS32010という名称となることが決められたという。
*)Wikipediaの"List of CB slang"によれば"100-10"ではなく"10-100"だったらしいが、まぁ逆に使われる事もあったのだろう。
このSPCことTMS 32010は1981年9月にTape out(当時のTIの用語ではPG Release:Pattern Generator Releaseと称したそうだ)する。もっとも、Tape outから実際の製品の製造までが一苦労で、ダラスのMOS2 Fabで製造した最初の緊急製造ロットは加工ステップにミスがあって歩留まり0になることが発覚。そこで動作は諦めて写真撮影だけでも可能にすべく一部工程を省略して最初のウエハーを製造、このウエハーから切り出したダイの撮影を行い、ISSCC 1982の論文締め切りの2日前にギリギリ写真を送付したそうだ。
余談だが、この工程省略の関係で、一部のラインが汚染され、洗浄が必要になった事が3カ月後に発覚したらしい。またこのダイ写真(図2)、ROMの領域そのものは配置されているが、実はROMとして機能していない。これは当時利用していたEDAツールの仕様で、ジオメトリ情報を入れずにROM領域を指定すると、そのROM領域を削除する事になっており、しかも開発者が誰もその仕様を知らなかったらしい。もっともROMが無くても当初のテストには十分であり、2度目のMaskでROM領域の修正を行う予定だったので、写真はこの不完全なROMでも良いと見切ったらしい。ただこうした問題を修正した最初の正常なシリコンは一発で動作したそうだ。こうして無事に1982年2月に開催されたISSCCでTMS32010は発表を行うことができた(図3)
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