一般的に「世界初」のプロセッサとされるのは「Intel 4004」だ。だが、それよりも前に登場し、使われていたプロセッサがある。Garrett AiResearchの「MP944」だ。だがその知名度はとても低い。その理由はなぜなのか、MP944の概要とともに語りたい。
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今月ご紹介するのはGarrett AiResearchの「MP944」というプロセッサである。一応世界初のMicroprocessorである、と設計者のRay Holt氏は主張している。ただこのプロセッサ、非常に知名度が低いというか、現在のところそれを示すソースはHolt氏が提供するものに限られており、クロスリファレンスが無い。もっとも事情を鑑みるとそれも仕方ない話ではあるのだが、結果として業界で広く認知されている訳ではない。
Garrett AiResearchはもともとGarrett Corporationという名前で航空機のエンジン(それもプロペラ時代のターボプロップエンジンやターボチャージャー)を開発していた会社である。創業は1936年で、ダグラスDB-7やボーイングB-17のインタークーラーを手掛けていた。第二次世界大戦当時はB-25やB-29のキャビン与圧装置などを手掛けている。大戦終了後にいったん事業を縮小したが、冷戦の始まりに伴い再び事業が活発になる。この冷戦時代、新たなビジネスが始まった。それは計算機のビジネスであり、最初は砲撃用の迎え角計算装置、次いで集中型のエアデータシステム(飛行中の外気圧とか空気流速などを測定するシステム)などを手掛ける。1970年代までに同社はさまざまな航空機および宇宙船向けに流体制御、油圧、アビオニクス、ターボチャージャー、航空機エンジン、環境制御システムなどを提供するに至る。1970年前後、同社の売り上げの7割が軍事向けを占めていた。
さてこの当時米海軍の戦闘機には、まだ電子式のコンピュータは使われていなかった。この時期だとMcDonnell DouglasのF-4 Phantom IIが主力戦闘機だったが、この機体の生産開始は1958年であり、そもそも半導体が入る余地が無かった。F-4に搭載されていたAN/ASA-32 AFCS(Automatic Flight Control System)はGeneral Electricが納入したものだったが、ここに使われていたCentral Air-Data Computerと称される機器は電気油圧式の計算機であった(図1)
ところが米海軍は次期主力戦闘機であるGrumman F-14 Tomcatに電子式の計算機を利用する事を決めており、これの開発をGarrett AiResearchが受託。同社に入社したばかりのHolt氏がこの重責を担う事になった。CADC(Central Air Data Computer)として呼ばれるこのコンピュータはMOSベースの6種類のマイクロチップから構成されるMP944を利用して実装され、1968年6月に開発がスタート。1970年6月に開発は完了し、1970年12月にはこのCADCを搭載したF-14の試作機が初飛行している。Intelの4004は1971年に発売されており、この事実をもってHolt氏はMP944こそが世界最初のMicroprocessorである、と主張している訳である。
ではこの話が広まらなかったのはなぜか? 設計が終わった事でHolt氏はMP944のドキュメント整理に取り掛かる。1971年には技術論文を作成してIEEE Computer Design Magazineに投稿した(この投稿された論文はこちらで読める)ものの、編集部に「軍事プロジェクトなので、掲載前に承認が必要」と告げられる。社内に承認を求めたところ拒絶され、Grumman社および米海軍からもNoの返事が突き付けられた。考えてみればこれは当然の話ではある。またMP944で実装した技術に関する特許取得についても、Grumman社より「全ての特許はPublic Domain扱いとなるが、MP944(というかCADC)の詳細は一切公開してはならない」という返答が届いたという。
ちなみにMP944の話をまとめたHolt氏の著書「The Accidental Engineer」の中で、同氏は「当時は秘密特許制度が無かった」としているが、米国の秘密特許法(アメリカ特許法181条:Secrecy of Certain Inventions)はこの当時既に存在していたはずで、ただHolt氏がそれを知らなかったのか、もしくはどこかで何かしら別の意向が働いた結果なのかも分からないが、結果としてMP944の実装に関する特許を出願する事もなかった。結果として世界最初のマイクロプロセッサの称号は「Intel 4004」がかっさらってゆく事になったわけだ。
ではこの話はずーっとお蔵入りになるのか?と思ったら、1998年にVintage Computer Festival(VFC)が開催された折に、Holt氏もFeatured Speakerとして招かれた(こちらにHolt氏の名前がある。ただ経歴にMP944とかCADCの名前は入っていない)。この際Holt氏は米海軍に連絡を取り、参加の承認を得た。そこで1時間にわたり、CADCやMP944の話をしたのだという。
これをきっかけに、Holt氏はMP944の情報を自身のサイトで公開を始めるとともに、一連の出来事をまとめたThe Accidental Engineerを出版した(図2)。この記事はそんな訳で、このThe Accidental Engineerと、Holt氏のサイトの情報のみで記述している。
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