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MCUの「礎」的存在、Microchip「PIC16」マイクロプロセッサ懐古録(3)(2/4 ページ)

» 2025年04月22日 13時30分 公開
[大原雄介EDN Japan]

Mattel Electronicsに生じた異変、そしてMicrochipの誕生へ

 さてそうこうしている間にCP1610を採用していたMattel Electronicsの方に異変が生じた。1981年までは上り調子だった同社の業績は、1982年から急激に下落を開始する。理由の一つは競合の出現で、「Atari 5200」とか「ColecoVision」といった安価で性能の良い製品が市場に出て来たことだが、もう一つは1982年の年末商戦から始まった“アタリショック(北米ビデオゲーム市場の崩壊)”である。このアタリショックで北米のゲーム市場が急速に萎んだ事で、Mattel Electronicsは1984年にIntellivisionのビジネスをINTV社に売却するが、そのINTV社も引き続き困難な状況に置かれ、最終的には1990年に破産保護を受けて1991年に閉鎖されている。こうした状況ではCP1610が売れる訳もなく、これに合わせてGIもCP1600やCP1610を1985年頃にDisconとする。

 さて、そんなGIのMicroelectronics Divisionも、GI本体の経営状況の悪化を受けて1987年にまず分社化。次いでベンチャーキャピタルに売却されて1989年にMicrochip Technologyという名称で独立することになる。ただし同社の経営状況は芳しくなく、1990年には四半期毎に250万米ドルの損失を出しているありさまだった。黙っていてもCP1610が売れるという状況が無くなっても、それに代わる製品が存在しなかったのが理由ではあるが、そもそもCP1600/1610に代わるような柱を育てていた訳でもなかったあたりが遠因であろうか?この当時一番売れていたのはHDD Controller用のチップで、収益の6割を占めていたとか。また特定の一社からの収益が全体の25%に達していたという、特定顧客への集中の癖はGI時代から変わっていなかった。加えて同社の工場は老朽化、品質管理もずさんであり、歩留まりも低かった。こうした事は製品原価を押し上げる方向に作用し、結果一部の製品は原価割れした状態で出荷されていたらしい。

 そうした状況の中でMicrochipにエグゼクティブバイスプレジデント(EVP)として入社したのがSteve Sanghi氏である。もっともSanghi氏が入社して人事部で雇用書類に署名している最中にCEOが首になり、取締役会は次のCEOの選定を始めた。経営陣刷新の一環として(雇用書類を書いている最中の)Sanghi氏にも退社が求められたらしいのだが、氏は退社せずに同社の立て直しに注力。1990年8月には社長、1991年にはCEO、1993年には取締役会長に就任し、その後2016年まで会長兼CEO兼社長を務めることになった。

 さてそんなSanghi氏はまず製品の見直しに着手。利益を生み出せる製品を優先した結果、PIC1650とUVEPROM、EEPROMなどが候補に挙がった。まずPIC1650にUVEPROMを組み合わせる事で、開発者の手元で迅速なプログラムの更新を可能とし(図3)、1993年には消去のために紫外線を当てる必要のないEEPROMを搭載した「PIC16C84」が初登場し、ここから急速にPIC16の普及が始まる事になる。このUVEPROM/EEPROM搭載PIC16により、開発者はMask ROMベースのMCUに付き物の、Mask製造の初期コスト&Mask製造までのDelayを削減する事に成功した。

図3:UVEPROMなので紫外線照射用の窓が開いている[クリックで拡大] 出所:Author Camillo Ferrari Olympus digital camera C-150 with macro-lens.CC BY 2.5 https://en.wikipedia.org/wiki/File:PIC16CxxxWIN.JPG

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