昨今のデジタルオーディオシステムでは、アナログ時代には存在しなかった問題が顕在化してきている。本稿では、まず、その問題の原因であるクロックジッターについて説明する。その上で、各種実験結果を基に、クロックジッターがオーディオ信号に与える影響を具体的に示す。さらに、デジタルオーディオシステムにおけるジッター対策の手法についても触れる。
デジタルオーディオの世界では、音質や性能を追求する努力が絶え間なく続けられている。そのための手法として、従来はデータのビット数やサンプリング周波数を向上させることに主眼が置かれていた。このアプローチは、通信理論や情報理論の観点からは正しく、誰の目から見てもオーディオ品質の向上につながるように思えるからだ。しかし、現実のデジタルオーディオシステムには、これまで見落とされていたオーディオ品質の劣化要因が存在する。それがクロックジッターである。
デジタルオーディオシステムでは、大抵のデジタル回路と同様にクロックが必要となる。では、ここでいうクロックとは何であり、何に用いられるものだろうか。
デジタルオーディオシステムにおけるクロックは、「量子化されたデジタルオーディオ信号に時間軸を与える信号」と表現することができる。アナログ信号をデジタル化する際には、入力されたアナログ信号をサンプリング周波数(以下、fs)でサンプリングし、そのサンプリングされた信号を量子化する。このサンプリングに用いる信号がクロックである。
サンプリング定理は、サンプリング間隔が常に一定であることを前提としている。つまり、理論の世界ではサンプリング間隔はまったく変動しない。言い換えれば、理論の世界のクロックは、情報理論的には確率1、情報0の信号である。
しかし、現実のクロックは、常に一定の時を刻んでいるわけではない。現実のクロックには、多かれ少なかれジッターが存在するからだ。例えば、実際にデジタルオーディオシステムのクロックとして用いられることの多いPLLには、10ps〜100psオーダーのジッターが存在する。周波数が非常に安定していると信じられている水晶発振回路ですら、発生するクロックには微小なジッターが含まれる。このジッターによりサンプリング定理の前提が崩れ、オーディオ品質が劣化するのである(別掲記事『ワウフラッタに代わるデジタル時代の問題』も参照)。
上述したジッターの問題が顕在化してきた要因の1つに、いわゆるデジタルオーディオインターフェース(以下、デジタルオーディオI/F)が登場したことがある。
民生分野におけるデジタルオーディオ機器の本格的な普及は、CDによってもたらされた。初期のCDプレーヤでは、CD盤からデジタルデータを読み出すメカ、デジタル信号処理回路、D-A変換回路、アナログ回路、電源回路などすべての回路が同一の筐体に納められていた。この時代には、デジタルデータは筐体内のIC間でのみやりとりされており、外部にデジタルインターフェースを持つ必要はなかった。つまり、初期のCDプレーヤにはアナログ出力しか存在しなかったのである。
その後、CDプレーヤの高音質化競争が進み、デジタル部とアナログ部を別筐体に収めるセパレート型CDプレーヤが開発された。これは、ノイズの発生源となるメカやデジタル回路などと、そのノイズの影響を受けやすいD-Aコンバータ以降のアナログ回路を別筐体に収めたものだ。それにより、デジタル部からのノイズがアナログ回路に及ぼす影響を極力排除し、また独立した電源回路によってそれぞれの干渉を最小限にして、高音質を達成することを目的としている。
このような筐体の構成をとるために、デジタルオーディオ信号を筐体間で伝送するための規格化された共通のインターフェースが必要になった。これがデジタルオーディオI/Fである。デジタルオーディオI/Fにはさまざまな種類があり、規格名に基づき、S/PDIF(Sony Philips Digital Interface)、IEC60958(旧称:IEC958)、JEITA CPR-1205(旧称:EIAJ CP-1201、CP-340)、AES/EBU、AES3、EBU Tech 3250などと呼ばれる。S/PDIFやIEC60958-3、JEITA CPR-1205は民生用の規格である。一方、IEC60958-4、AES/EBU、AES3、EBU Tech 3250は放送局/スタジオ用の規格であり、民生用規格とは物理層や補助データの使用方法などが異なる。とはいえ、データ構造自体は同等である。
これらのデジタルオーディオI/Fは、ステレオ(2チャンネル)の24ビットPCMデータと各種の補助データをシリアルで伝送できるように設計されている。言い換えれば、すべてのデータはシリアル化され、クロックはそのシリアル化された信号に埋め込まれる。これを復調するには、いわゆるCDR(クロック&データリカバリ)回路が必要となる。この機能は、デジタルオーディオの世界では、「デジタルオーディオI/Fレシーバ(DIR)」と呼ばれる。
デジタルオーディオI/Fの伝送路は、大きく分けて2種類ある。1つは電線による電気的な接続であり、民生分野では特性インピーダンスが75Ωの同軸ケーブルが使用される(同軸接続)。もう1つは光ファイバによる光接続である。光接続では、送信側で電気信号を光信号に変換し、伝送路では光ファイバを使用してその光信号を伝送する。そして受信側では光信号を電気信号に変換することになる。現在の民生オーディオ機器では、この光接続が主流となっている。その理由は、EMI(electro magnetic interference)対策の面や、機器間のグラウンドを分離することによるノイズ対策の面で有効だからである。
なお、放送局/スタジオ用の規格では、差動入出力で信号を受け渡し、伝送路には特性インピーダンスが110Ωの2芯シールド線が使用される。
アナログ信号とは、時間軸方向にサンプリングされていない信号のことである。つまり、アナログ信号は時間軸方向に連続的に存在する。レコードプレーヤやテープレコーダといったアナログオーディオ機器では、その構造から分かるように、モーターなどを使用して一定速度でメディアを移動させ、カートリッジあるいはヘッドにそれを連続的に接触させる。つまり、このモーターの回転こそがアナログオーディオ機器に時間軸を与えていたのである。クロックが時間軸信号を与えるわけではないため、アナログオーディオ機器では、本稿で説明するようなジッターによる問題は存在しなかった。しかし、メカ系の回転ムラに起因するワウフラッタと呼ばれる時間軸方向の歪の問題を抱えていた。
ワウフラッタ性能を良くするには、安定した回転を得る必要がある。そのため、この時代の高級オーディオ機器には精密に作られた重厚なメカが使用されていた。そうしたメカは当然高価なので、アナログ時代のオーディオ機器では価格による音質差が非常に大きかった。
オーディオ機器がデジタル化されることにより、オーディオデータはすべてクロックを時間の基準としたものとなった。そのため、このワウフラッタの問題は解決したと信じられていた。実際、デジタルオーディオ機器では、アナログの時代のような機器間での極端な音質差はなくなった。
確かに、デジタルオーディオ機器のワウフラッタ性能は非常に優れていた。時間軸の精度は水晶振動子によって保証され、レコードやテープなどアナログオーディオ機器のそれとは比べ物にならないほどに良かった。そのため、デジタルオーディオの音質を語るとき、クロックに関する問題が取り上げられることはなかった。デジタルオーディオの音質がアナログのそれに比べて劣る場合には、サンプリング周波数に起因する高域記録再生限界(CDでは約20kHzであり、アナログレコードのほうが高域が伸びる)や、量子化ビット数の不足に原因があると考えられていた。
しかし、10年ほど前からであろうか、高音質を追求するオーディオマニアの間で、ジッターによる音質劣化の話題がよくささやかれるようになった。また、最近では、高性能なクロック発生回路を搭載したり、回路を改良したりすることで、低ジッター性能をうたう高級オーディオ機器が現れてきている。
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