EMC性能については、小さな形状のものが大きな影響を与えることがある。筐(きょう)体の1つの換気穴や1本の配線、ICパッケージ上のアルミニウム製のヒートシンクなどが、EMC試験における不合格の原因となり得る。これらの構造物がアンテナのように振る舞って、周辺のエネルギーを感受してしまい、機器のEMC性能を弱めてしまうのだ。
電子機器の各種規格では、EMCに関する規定として960MHz以上の周波数に対応することが要求されている。つまり、設計者は、広い周波数帯域に対して電磁界シミュレーションを行わなければならない。そのため、機器が大規模になるとシミュレーションには非常に長い時間がかかる。一見、単純に思われる製品でも、電磁界に関する問題はかなり複雑であることが多い。さらに、配線から生じる電界や、インダクタの磁界、ケーブル周囲の電磁界など、EMIの要因になる事象は複数ある。
このように大規模な演算が必要になりがちな電磁界シミュレーションを効率良く実行するためには、解析対象の分割や、相対的/絶対的な測定結果の利用が欠かせない。設計者は、ユーザーがどのように機器を使用するのかを理解した上で、扱いやすい単位に分割して電磁界シミュレーションを行い、評価する。
分割された各部分の解析結果は全体の解析結果に深いかかわりを持つ。ここで、重ね合わせの原理が非常に役に立つ。重ね合わせの原理では、「すべての線形システムに対して、任意の場所と時間で2つ以上のスティミュラスによって引き起こされた応答は、各スティミュラスによって個々に引き起こされた応答の和に等しい」としている。例えば、ある機器のEMIに影響を及ぼす要因が3つあるとき、各要因について個々にシミュレーションを行う。必要な場合には異なる解析手法を用いてもよい。そして、3つの要因に関連性がなければ、これらの解析結果の2乗平均平方根(RMS)の和を求めればよい。
プリント基板に対する電磁界シミュレーションの結果は、電磁放射モデルの1つとして、さらに大規模なシミュレーション環境に取り込むことになる。なぜなら、プリント基板から生じる電磁放射について、仮想信号を使用して電磁界シミュレーションを完了したとしても、機器内にはスイッチング電源など、電界や磁界に影響を与えるほかの要素が存在するからだ。また、プリント基板や電源は筐体内に収められているが、機器から出ているケーブル類がアンテナのように振る舞ってエネルギーを放射したり感受したりするケースがある。これらによって、EMC試験で不合格になることもある。異なるパターンの放射をどのように加算すれば、機器全体としての総放射量になるのかを見極めることも必要だろう。
しかし、そこで行った見極めによって、非線形回路の奇妙な性質が明らかになるかもしれない。また、重ね合わせの原理は非線形システムには適用できないし、回路のEMIを過小に評価する原因になるかもしれない。
電磁界シミュレータの開発に従事する数学者やソフトウエア技術者は、電磁界シミュレーションで有効に活用できる多くの手法を開発した。プリント基板のEMCの評価には、米Mentor Graphics社の「HyperLynx」や米Ansoft社の「SIwave」といった2次元シミュレーションツールを利用することができる。プリント基板上の信号品質(Signal Integrity)や電源品質(Power Integrity)の問題を解決することにより、EMCに関する問題が解決されることもよくある。
周波数が比較的低く、規模の小さな解析対象には、時間領域手法を用いたシミュレーションツールを利用できる。時間領域手法の最大の利点は、GPU(Graphics Processing Unit)カードを用いて演算を高速化できることである。米Remcom社でトレーニング/アプリケーション/コンサルティング部門のマネジャを務めるJames Stack氏は、「GPUカードを1枚使用するだけで、シミュレーションの速度を30倍に高めることができる。GPUカードを4枚搭載したコンピュータなら150倍もの高速化が可能だ」と語る。ドイツComputer Simulation Technology(以下、CST)社で技術サポート/エンジニアリング部門のバイスプレジデントを務めるDavid Johns氏は、「当社の時間領域手法を用いたツールの場合、GPUカードを1枚用いることで解析速度を12倍に高めることができた」と報告している。
しかしながら、周波数が高い場合には、電磁界シミュレーションに時間領域手法を用いることが適しているとは言えない。信号が低速の場合には有限要素法と時間領域手法を用いたツールが最適であるのに対し、信号が高速で規模の大きな解析対象にはモーメント法と漸近解析手法を用いたツールのほうが適している(表1)。
大容量のメモリーとマルチコアCPUを搭載した高性能のワークステーション上で周波数領域の解析ツールを使う、という考え方にはとらわれないほうがよいだろう。南アフリカFEKO社やCST社などは、標準的な性能のコンピュータでも、大規模な問題を解析できる高速多重極法(MLFMM:Multilevel Fast Multipole Method)を採用している。
解析対象が大規模になり、10GHz以上の周波数でのシミュレーションを行う必要がある場合は、大規模システムの解析に用いられる漸近解析手法をサポートする特殊なツールを使う必要がある。ツールによっては、1つの物理現象が別の物理現象に与える影響までシミュレートする機能を持つものもある(別掲記事『マルチフィジックスの取り扱い』を参照)。
Mentor社、米Cadence Design Systems社、図研などが提供しているプリント基板のレイアウトツールには、設計したプリント基板の電気的特性や物理的特性に関する情報を電磁界シミュレータなどの解析ツールに入力するための機能が用意されている。この機能によって、プリント基板の層構成や材料などのデータを用いたシミュレーションを容易に行うことができるようになる。
また、ポイントツールがプリント基板のデータを取り込めることも確認しなければならない。CST社や米Sigrity社のツールは、Cadence社やMentor社、図研、オーストラリアAltium社のデータベースを取り込むことができる。また、多くのツールが、プリント基板製造用のデータベースにおいて、プリント基板の物理的構造や材料について記述したODB(Open Database)++に対応している。また、スイスSchmid&Partner Engineering(SPEAG)社や米Computer and Communication Unlimited(2COMU)社など、フルウェーブ電磁界シミュレータのベンダーは、3次元CADツールを用いて設計したデータの取り扱いに精通している。これらのベンダーのツールは、STEP(Standard for the Exchange of Product Model Data)、IGES(Initial Graphics Exchange Specification)、DXFなどの形式のデータをインポートできる(図3)。インポートしたデータは、シミュレータの中で解析手法に適したアルゴリズムを用いてメッシュ化される。
構造物の形状や誘電率に関する情報の入力作業は、電磁界シミュレーションのプロセスの一部にすぎない。シミュレーションを実行するには、適切なスティミュラスも入力する必要がある。時間領域手法を使用する場合には、適切な時間領域の波形を各配線に入力することができる。駆動端子の時間領域波形のルックアップテーブルであるIBIS(I/O Buffer Information Specification)モデルを使えば、各端子に入力する信号の立ち上がり/降下の条件を記述することが可能だ。もちろん、各端子で扱う具体的なデータについても定義する必要がある。データとしては、擬似ランダム信号(PRBS:Pseudo Random Binary Sequence)が適しているケースもよくある。
IBIS-AMI(Algorithmic Modeling Interface)を使えば、製品に使用したIC内のプリエンファシス回路やイコライザ回路を定義することもできる。ただし、IBIS-AMIは機器の動作中に実際に現れる波形を定義することはできない。通常は、IBIS-AMIブロックにはPRBS信号を入力する。設計したプリント基板には数百本もの配線が存在するので、配線間で相互干渉が起きることもある(図4)。
高周波の電磁ノイズの発生源をスペクトル表現するのに最適なのがSパラメータである。ただし、プリント基板ブロックのSパラメータ表現は、そのプリント基板を用いる機器が通常使用する信号を入力しなければ、そのブロックが発生するスペクトルを表すものにはならないかもしれない。
電磁界シミュレーションは、それまでに得た経験を基に思考を重ねることにより、設計プロセスのあらゆる段階で利用できるようになるし、FCCやCEマーキングの認証も確実に取得できるようになる。とはいえ、シミュレーションを行う場合には、常に想定外のことが起きることも忘れてはならない。
「マルチフィジックス解析(連成解析)」という言葉が、EMC対策の分野でもしばしば聞かれるようになった。これは、シミュレーションにおいて複数場の相互作用を関連付けて解析を行うときに使う言葉である。例えば、キュリー温度を持つ物質が高周波のエネルギーを照射されることで発熱する場合、シミュレーションではその物質の周辺空間の電気的作用だけでなく熱効果も考慮する必要がある。さらには、その物質の磁気特性の変化が引き起こす場の変化も算出しておかなければ、物理現象を正確に表したシミュレーションにはならない。
マルチフィジックスで扱うべき解析対象の身近な例として、機器の筐体の換気穴が、機器の熱挙動と筐体から出る高周波エネルギーの量の両方に影響を与えるケースがある。こうしたケースで、構造技術者は、熱を放出するために筐体の開口部を大きくすることを主張する。一方、電気技術者は、電磁放射を低減するために開口部をなくすべきだと訴える。
このような事例に対し、米ANSYS社や米COMSOL社のマルチフィジックス解析に対応したツールは、各部門の相反する要求を調停するような解決策を提示してくれる。冷却に効果があり、EMC性能にもある程度余裕のある最適な条件を、シミュレーションによって導き出すのだ。そうすれば、少なくとも部門間での口論は起こらなくなり、機器の設計を前進させられるようになる。
シミュレーションツールは、FCCの認証取得を保証してくれるものではない。しかし、両部門が機器開発を次のステップに進められるような折衷案を提供することはできる。
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