今回は、メーカーそのものが無くなり「一発屋」となってしまった「MOS 6502」を紹介したい。任天堂の「ファミコン」にも採用された製品だが、その末路は「会社がなくなったことによる断絶」だった。
先月の本連載では、「TMS1000」は、後に続くMCUが無かったという事で一発屋とご紹介した訳だが、今月は会社そのものが無くなってしまって一発屋と化した「MOS 6502」をご紹介したい。
MOS 6502、通称6502は、ちょっと年配の読者なら当然ご存じのはずだ。海外ならApple I/IIやCommodore PET/VIC-20、BBC Microなどさまざまなマイコンに採用された。日本ではなにしろ任天堂のファミコンに採用されたから、それはもう猛烈な数の6502が出荷されている。
ちなみに任天堂がなぜファミコンに6502を採用したかについては、任天堂の「社長が訊く『スーパーマリオ25周年』」の2ページ目あたりから言及があって、当時ちょうどリコーが6502のセカンドソースをしており、任天堂向けにその6502を強く推した事が大きかったらしい。まぁこの話も、当時リコーが数十万個の6502の在庫を抱えていたという真偽不明の話と絡んでくるのだが、結果として6502がファミコンに採用されたのは事実である。
6502を開発したのはMOS Technologyという1969年創業の会社である。本社はペンシルバニアに置かれたが、これは同社を創業したJohn Paivinen氏とMort Jaffe氏、Don McLaughlin氏の3人が(やはりペンシルバニアに本社を置いていた)General Instrument社からのスピンアウト組だった事に起因する。このMOS Technology、1970年にはAllen-Bradley Companyに買収されてしまう。同社は電卓用チップや、1970年に発表したPLC用のカスタムチップの製造をMOS Technologyに委託する。ただ前回も説明したように電卓のマーケットはその後価格崩壊を起こし、マーケットが壊滅する。MOS Technologyはこの崩壊を、AtariのPONG用のチップの製造で何とか乗り越えることができた。
こうした流れとは別に、Motorolaは当時「MC6800」を開発していた。これは最終的に1974年に発売されるが、1973年にこのMC6800の開発チームにアーキテクトサポートとして参加したChuck Peddle氏は営業担当者と顧客回りをする中で「顧客の求めている製品はもっと廉価なCPUだ」と気付く。Peddle氏はJohn Buchanan氏(チップレイアウト)、Rod Orgill氏(回路解析とチップレイアウト)、Bill Mensch氏(周辺チップ設計)といったMC6800の主要な開発メンバーと一緒にMC6800の低価格バージョンの開発を会社に提案するものの、最終的にこの提案はMotorolaから拒否される。悪い事にこの時期、Motorolaはテキサス州オースチンに新しいFabを建設していたが、同社の半導体部門はアリゾナ州メサに拠点を置いており、オースチンへの移動を嫌がるエンジニアは少なくなかった。最終的にPeddle氏はMotorola社内での開発を断念し、社外にリソースを求めた。運よくPeddle氏は後にフォードのエンジン部門のトップとなるBob Johnson氏を介してPaivinen氏とコンタクトを取り、もともと17人居たMC6800の設計チームのうち8人(Peddle氏を含む)がMotorolaを退職してMOS Technologyに入社。Motorolaに拒否された低価格版MC6800の開発をスタートすることになる。こうして作られたのがMOS 6501とMOS 6502である。
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