さてそのTMS1000、商業的には大成功となった。発売から5年ほどで、TIは年間数千万個のTMS1000シリーズを販売していたからだ。特に28pinのものは安価なプラスチックのDIPパッケージだった事もあり、大量購入時の単価は2〜3米ドルの間に収まった。ここまで安いと、使う側としては本当に気軽に使えることになる。加えてTIは自社製品にこのTMS1000を広く採用した。一番有名なのは「Speak&Spell」であろう。Speak&Spellは音声発生機構にTMC0280、後にTMS5100に改称されるDSPを利用した事で有名だが、それとは別にキーボード入力とか画面表はTMS1000を利用して実装した。また自社のさまざまな製品の細かいコントローラーにTMS1000を利用している。データシートの冒頭に、Terminal Controllerの実装例が出ている(図6)。これは電子テレタイプに相当するものだが、TMS1200とUARTのI/F、それとちょっとしたDiscrete ICだけで構築できる。特にキーボードと10桁程度の表示部というユーザーI/Fを構築するのに、TMS1000シリーズは非常に都合が良かった。他にはMilton Bradley Companyはsimonとかbigtrakといった子供向け電子玩具の制御に使ったのが有名ではあるが、細かく製品を数え上げるのが不可能なほど、玩具や家電製品、防犯アラーム、コピー機、ジュークボックスなどに採用されたらしい。
問題はこの成功を他の企業もきちんと見ていた事だ。Intelの「8051」とかMicrochip Technologyの「PIC16」などは、基本的な構造はTMS1000から受け継ぎつつ、よりパワフルなコアや開発環境の改善など、使いやすさをブラッシュアップすることで、単にTMS1000のマーケットを奪い取るだけではなく、新たなマーケットを開拓する事にも成功した。
ではTI自身は?というと、TMS1000シリーズの性能を上げるのではなく、当時コンピュータ部門で製造していた「TI-990」というシステムをワンチップ化した16bit MPU「TMS9900」を開発するが、これはMPUであってMCUではなく、TMS1000の代替にはならなかった。8bitのCPUコアを積んだMCUとかを出せば、あるいはMCUのマーケットを維持しえたかもしれないが、当時のTIにはその余力が無かったようだ。その後1980年代に入り、同社はDSPへの傾倒を強めてTMS320シリーズDSPを1983年にリリース。ただ全部をDSPでやるのはやっぱり無理だと分かったのか、1992年にはMSP430シリーズMCUを投入する。さらに2009年にはArmのCortex-Mベースの省電力MCUを提供していたLuminary Microを買収、同社のラインアップをベースにStellaris FamilyとしてCortex-Mベースの32bit製品をそろえるもののうまくいかず、ラインアップを何度も変更している。この辺の話はまたあらためてするとして、そんな訳でTMS1000シリーズは残念ながら同社の製品ラインアップとしては一発屋で終わってしまった。ただ広範なメーカーの製品計画に影響を及ぼしたという意味では忘れられない製品である。
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