無線によるマルチメディアストリーミングは、業界の大きな関心を集めている。とはいうものの、その実現レベルはまだ低く、また、さまざまな規格が乱立している状態にある。本稿では、IEEE 802.11をはじめとする各種無線規格を取り上げ、各企業/業界団体がそれぞれの規格を利用してどのような取り組みを行っているのか、またそれらはどのような進捗状況にあるのかを説明する。
オーディオ/ビデオ信号を伝送するための規格としては、さまざまなものが存在する。そして、各規格に対応する市場は、やや断片化してしまっている状態にある。例えば、今なお対立が続くDisplayPortとHDMI(High Definition Multimedia Interface)は、引き続きそれぞれを利用したシステムを設計する企業とエンドユーザーしか対象にしていない*1)。また、有線の伝送手法については、既存のものも新しいものも、まだ議論の余地を残している状態にある(別掲記事『新たな有線規格「HDBaseT」』を参照)。
一方で、技術は絶えず進歩を続けている。現在、業界の関心は、無線伝送へと向けられている。無線伝送には、文字どおり、見苦しい配線が不要になるというメリットがある。また、情報源から伝送先までの距離を有線の場合よりも延長できる可能性がある。さらに、ケーブルを壁にはわせたりすることなく、部屋から部屋へと信号を伝送することもできるかもしれない。ただし、ディスプレイの電源ケーブルは現時点ではまだ必要である(別掲記事『AC電源もワイヤレスに?』を参照)。
本稿では、ファイルベースの情報をコンピュータ機器やNAS(Network Attached Storage)機器から検索して取得する、いわゆるスマートメディアアダプタは取り上げない*2)。そのような製品にも需要があるのは確かだが、かなり高度な処理機能が必要であることから価格が高くなる。その上、堅牢な設計を構築するには、非常に多くのファイルシステムやネットワークポート/プロトコルをサポートしなければならない。従って、その実装とメンテナンスは悪夢のような作業となる。
本稿では、情報源となる機器が、コンテンツを格納するだけでなく、それを単一または複数の再生機器で視聴するためにネットワークを介して配信するスタイルのビデオ配信を取り上げる。Wi-FiやIEEE 802.11nの推進派は、長い間これを、マルチメディア伝送における究極の手法だと位置付けてきた。だが、2009年の試験によって明らかになったように、IEEE 802.11nの従来型である1ストリームまたは2ストリームの構成では、大容量のビデオを高い信頼性で処理することはできない。現状では、広く消費者の支持を得て採用されるレベルにはないのである*3)。
こうした状況の中、技術者らは現行世代の問題に対処しようと努力を重ねている(別掲記事『安定したデータ伝送のために』を参照)。また、次世代の規格の文書化や、それに続く実装にも多大な労力が投入されており、実のある効果が期待できそうである。少なくとも、あるメーカーは、5GHz帯のIEEE 802.11nを使ってビデオ向けのポイントツーポイント伝送を実現している。だが、これは普及している業界規格との互換性を持たない。
中には、「無線ネットワークの理論を実用レベルで具現化するには、2.4GHzおよび5GHzのISM(産業/科学/医療)帯からかなり離れた周波数帯域を使用する必要がある」と考える開発者もいる。UWB(Ultra Wide Band)の推進派には、WiMediaフォーラムに加盟している企業があり、プロプライエタリな規格も生まれている。また、WirelessHDコンソーシアムは、別の免許不要帯域である60GHz帯に着目している。最近では、半導体業界を代表する企業が集まったWiGig(Wireless Gigabit)アライアンスも、この周波数帯域を対象とすることを表明している。
これらのうち、最終的にどの無線技術が戦いを制するのかはまだわからない。しばらくは予測がつかない状態が続くと考えられている。そして、同様に不透明なのが、無線ビデオ市場の規模がどの程度であるのか、また、ある一定の市場規模に達するまでにはどれだけの時間がかかるのかということである。
LG社、ソニー、韓国Samsung Electronics社、イスラエルValens Semiconductor社は、HDMIやDisplayPortに代わる規格としてHDBaseTを推進している。4社は、このHDBaseTの普及促進と同規格を採用した製品の商品化を目指して、HDBaseTアライアンスを立ち上げた。同団体は、「ビデオ伝送の規格は、より長い伝送距離に対応し、より多くの機能を含有するものでなければならない」と考えているものの、本稿で紹介した無線規格のいずれかを標準化することにはあまり乗り気ではない。代わりに、同団体はRJ-45をベースとする手法としてHDBaseTを開発した。従来のカテゴリ5eのケーブルに、オーディオとビデオストリームだけでなく、ネットワーク接続性、USB対応のデータ転送機能、さらにはPoE(Power over Ethernet)をも統合する技術である。加盟企業らは、2012年にはHDBaseT技術を採用する製品が広く提供されると見込んでいる。
無線伝送を利用したビデオ機器は、伝送先の機器への接続に必要なケーブルの本数を減らすことはできるが、完全になくすことはできない。ディスプレイにはやはり、AC電源が必要だからである。しかし、米マサチューセッツ工科大学からのスピンオフ企業である米WiTricity社の技術を採用するならば話は別だ。同社は2010年のCESにおいて、民生機器メーカーの中国Haier社と共同で、数フィート(1m程度)の距離に対し、ワイヤレスで電力を供給するシステム(試作品)を披露した。同社によると、最大100Wの電力供給が可能であるという。また、オーディオ/ビデオ伝送には、AMIMON社のWHDIが使用されていた。
電子機器などの情報サイト『Gizmodo』に掲載されたこのシステムに関する記事によると、「壁に設置される大型の電源装置は、“まったく害のないRF波”をテレビの背面に放射する。そして、テレビには蓄電器が内蔵されている」という。同記事では「電源モジュールと蓄電器が平行な場合に限り、最大電力が得られる。そのため、電源モジュールがある壁の前にテレビを設置する必要がある」と説明している*A)。
ディスプレイの背面にある蓄電器のサイズは約1フィート四方(約0.1m2)で、数インチ(5cm程度)の厚さがある。そのため、液晶ディスプレイや有機ELディスプレイ、プラズマディスプレイにおける「できるだけ薄く」というトレンドには反している。一方の電源モジュールも、そのすぐ前に配置されたディスプレイとサイズ/厚さがほぼ等しい。また、電力損失については誰も語ろうとしなかった。
従来型のIEEE 802.11nでは、HDビデオ/オーディオストリームの伝送が難しい場合がある。ただし、なるべく安定した伝送を行うために、できることはある。例えば、伝送距離に問題がなければ5GHz帯のみを使用することによって、ISM帯を使用するほかの放送源からの干渉を排除することができる。あるいは、オプションのワイドチャンネルの40MHzモードを使用可能とし、ストリーム当たりのスループットを最大化するのも1つの方法だ。ただし、この方法は、チャンネルが重複しない5GHz帯のみにおいて実現可能である。一方、2.4GHz帯におけるワイドチャンネルモードでは、2.4GHz帯で1チャンネルに割り当てられる使用可能帯域の約80%を消費してしまう。
送信機と受信機の両方が、アンテナアレイと無線構成の両方の面において、マルチストリームデータに対応できるようにする必要がある。スタンドアロンまたはルーターに内蔵されるスイッチを使用すれば、パケット転送の遅延や損失による再生時のグリッチが緩和される。目標とする品質を満たすために必要なビットレートをできるだけ低くするには、H.264、VC-1、WebMといった高度なビデオコーデックの採用も検討するとよいだろう。必要ならば、情報源からルーターに1チャンネル、ルーターから伝送先に1チャンネルという複数のコンカレントチャンネルを使用することで、チャンネル当たりの利用可能帯域幅を最大限に活用することができる。ただ、可能であるならば、ピアツーピア方式を採用してルーターをなくしてしまう方法のほうが有効である。
※1…Dipert, Brian, "Connecting systems to displays with DVI, HDMI, and DisplayPort: What we got here is failure to communicate," EDN, Jan 4, 2007
※2…Dipert, Brian, "Accelerating consumers' NAS adoptions: assessing your product options," EDN, June 25, 2009
※3…Dipert, Brian, "Transporting high-def video broadcasts: Are wireless networks up to the task?" EDN, Aug 20, 2009
※A…Rothman, Wilson, "Haier's Completely Wireless TV Hands On: No Cables for Video……or Power," Gizmodo, Jan 7, 2010
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